2007年12月28日

今日で仕事納め

今日でいよいよ「仕事納め」。

昨年までは10回近く忘年会があったのだが、今年は3回だけ。

何か飲み残したようだが、年末から年始にかけて高校時代の仲間との飲み会が3回ほどある。

正月の帰省で東京や神戸、アメリカ、インドネシア在住の連中も居て、会話が楽しみ。


大掃除を終えて、今から同僚と食事をして解散。

  


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2007年12月27日

いま関心は上海。5日から3年ぶりに訪れる。

正月号の新聞も出来上がり、残すは明日の大掃除のみ。

関心は、5日から発つ上海に移り、いろいろ旅の行程を思案している。

目的は日本で知り合った中国人の友人に会うため。帰国後上海の

清水建設現地法人を経て、このほど会社を起こした。

彼と知り合ったのは偶然。当時藤岡町深見にあったコンビニの公衆電話で中国語で話しているのを見て、

中国語学習中だった私が話しかけたのがきっかけ。

彼はプラスチック加工会社で研修生として働いている最中。

一般的には高校卒の人たちが多いのだが、彼は理工系大学出身。

研修生は大体同じ中国人研修生同士で内輪でかたまりがちだが、彼は週末は国際交流協会の

日本語教室には行って語学の研鑚を積む一方、トヨタ自動車で働く正社員の中国人や、韓国人

のエンジニアなどとも交流。

3年目に大学院進学を決め、中国人留学生をつてに、名工大を志望校に、毎週のように大学の先生の下に通った。

そして、研修先の社長からも働く姿勢が認められ、例外的に途中で辞めることを認められ、

推薦文まで書いてもらい、見事合格した

夢叶ったと喜んでいた矢先、一向に「学生ビザ」が下りず、何度も

問い合わせるが、連絡がこず、3月に無念の帰国の途についた。

その後もメールのやりとりをし、3年前に上海で再会。その時紹介してもらった彼女と今年春に結婚した。

その彼女から中国人の商魂たくましさを感じた。

まだ25歳にもかかわらず、マンションを3室購入し、他人に貸しているというのだ。

結婚、起業。

3年間で成長した彼との再開に胸膨らむ。。。


  


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2007年12月25日

今年気になった”言葉”

今年、取材で知り合った経営者やまちづくりに邁進していたさまざまな人たち。

彼らとの”出会い”の中で発せられ気になった言葉を携帯にメモしていた。

逆境に立った時こそ、人間性が表れる」

「一番簡単だが、一番難しいことは、諦めないこと

続ける才能は、時にどんな才能をも凌駕する」

「夢を叶えた人にしか見えない素晴らしい世界が広がっている」

「どこの道に行きたいか分からない奴に、進む道などない」


いかに前向きに生きることが重要かを身を以て証明している人たちに、来年も再び会えることが楽しみだ。
  


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2007年12月24日

地域とともに

この仕事をしていると地域と地域、人と人とのつながりの深さを感じることは多い。

だが、盆や正月に会う同級生や、食卓でトヨタに勤めていた父と会話をしていると、

海外勤務や転勤は当たり前で地域とのつながりとは無関係に生き、

ギャップを感じると同時に、市民の中ではマイノリティなのではとも思えてくる。

毎週末行われている行事から、こんな面白い人生を歩んでいる人物がいる。

仕事では地域にある情報を探し、それが記事になる。

だが、多くの市民にとって全国的なニュースやスポーツに関心があっても、地域のことを

どれだけ注意深く見ているだろう。

例えば10人中何人が「いま市町村合併して足助の

香嵐渓が豊田市であること」を知っているだろう。無論、吸収される側の、足助の人は

世代を問わず知っているだろうが、旧豊田市の人にとっての関心は薄く、左から右へと受け流してしまっている。


「あいつとは同級生で、彼は一個下」。

こうした会話が通用した時代は、昔から住む人ばかりで人口も少なく

学校も少なかった小さな社会だった時代だからあり得た話。

だが、昔からいる人よりも新たに移り住んできた人がはるかに多い都市化を象徴するように

共学の普通科高校も豊田西高だけから衣台、加茂丘、豊田北、豊田南、豊田、豊野などと増え、

経済では地域に根ざした個店を全国チェーンが駆逐している、今のこの時代。ますます

暮らしている地域に根ざして生計を立てる人の割合はどんどん減っていくのではないか。


若者の活字離れや媒体の多様化に加え、こういう社会がますます進めば、地方新聞にとっては死活問題でもある。

上の年代は、まだあの当時の古き良き時代が通じているので実感として感じないだろうが。。。


そうした中で「ブログ」がどんな役割を果たすのか?

毎回脳裏にこんな思いを抱きながらモニターに向かっている。  


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2007年12月23日

県境の町で幻想的な明かり

豊田スタジアムにゲレンデをつくり子どもたちにそりで楽しんでもらう

この時期恒例のイベント「豊田雪まつりイヴイヴラブラブ9」が昨日行われた。天気予報の通り

午後から雨が降り出すと、午前中の盛況ぶりがウソのように、ばたりと

客足が鈍ってしまった。だが、主催者の豊田商工会議所青年部の一員として

子どもたちが親子で笑顔で楽しんでいる姿を見て、お金では買うことのできない有意義な時間を過ごさせてもらった。

ブログで人気上位の豊田ホームニュースさんや、たまに

行くスポーツジムの会員の美しい女性らも旦那さんや子どもさんと遊びに来ていて、

私のサンタ姿にきょとんとした表情で見ていたのが印象的。

現在正月号の記事を打ちながら、小休止。

これから夕方には岐阜・長野と接する県境のまち稲武地区に向かう。

まちなかを間伐材をくり抜いて作ったランプシェードで飾るイベントが昨日・今日と開かれており、

幻想的な雰囲気を楽しんできたい。  


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2007年12月21日

新春恒例

一昨日、新春恒例の鈴木公平市長のインタビュー。カメラ班として同行した。

1時間ほどのインタビューだが、記事になるのは、どうしても公式的なちょっぴり堅めな無難な話になる。

責任ある立場なので言葉の持つ意味は一般の人より当然重い。

いつも慎重で言葉を選んで話す市長だが、この日は舌。

都市と農山村の共生を謳った市町村合併からまちづくり、道州制、法人2税問題など市政について熱く語った。

年明け早々には市長選が火蓋を切る。  


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2007年12月21日

写真掲載お断り

とある小学校の体育館で開かれた啓発教室の取材。

校長先生がまず、「前の方にいる何人かの子どもたちは『写真掲載できない』と

父兄からきてますので、後方からの写真にしてもらえますか」と。

今までも、障害者施設や養護学校などでは必ずこういった要望はあるのだが、学校では初めての経験。

逆にこれまでだと「新聞に載った写真を送って下さい、大きくしてもらえる

とありがたいんですが」と言われたほどだった。

翌日、ある中学校。

女子中学生をインタビューするため、夕方5時過ぎまでかかってしまった。

冬で外は真っ暗。

「部活などで暗くなると、親御さんに迎えに来てもらうのがきまりになっているんですよ」と校長。


安全な社会ではなくなっている、と改めて感じさせられた。  


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2007年12月20日

豊田は真の都市なのか・・・

旧豊田市が高橋、猿投、松平と合併してなかったら、現在の駅前の整備はあったのか。

自動車関連企業に全国から職を求める人で人口は急増し、

「駅前=都市の顔」の名の下、旧豊田そごうはじめ豊田市美術館、豊田スタジアムなどを整備。

ある年代以上の地元生まれの人は企業城下町という代名詞への抵抗感を

持つ者は少なくないが、地図を見ると豊田喜一郎翁が自動車製造を決断してなかったら、今なお

農村地帯でどこかに吸収合併されていたか、いらないと孤立しているだろう。

豊田市はとにかく広く人口密度や駅前の賑わいからは到底、

「都市」と声高らかに言える状態とは言えない。

南部の人は買い物も知立や岡崎、北部は駅前を利用するが、感覚としては長久手や名東区に行く人が少なくない。

行動範囲は人によって随分異なるが、統計上消費が市外へ流出していることから

商業集積地の市街地に対する“中心”という思いは、現状客観的に見れば

市民共通の理念とはなってはいない。

交通の利便性も格段に向上し、伊勢湾岸・東海環状道などの高規格道路のインターが集積。

物流の拠点という都市の特徴が加わる一方、新たな

交通網の整備は“豊田離れ”を加速し、求心力を失わせる。政令指定都市として、イーオンや

アピタを抱える周囲の自治体との合併で消費指数が1になる前に

市としてどういったグランドデザインを描くのだろうか。

先日トヨタ自動車で働く20代と飲む機会があった。

いずれも東京、横浜、大阪、神戸出身。豊田市が合併したことも知らなかったが、

合併の理念で「都市と農村の共生」を掲げていることを話すと、

豊田市が都市なんですかと半ば半笑いされた。

内輪で旧豊田市民が旧町村のことを田舎扱いしても都会出身者からすれば「豊田=都会」のイメージは微塵もないのだろう。

個人的には、旧豊田市自体が北に猿投山、中心部に矢作川が縦断し、合併する前から

自然と共生する地域だった。

中途半端に、全国にある「ミニ東京」を目指すより、それはそれで魅力だと今も思う。
  


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2007年12月20日

新成人は2人とも工学部の男子大学生

正月号の「新成人特集」で取材した2人は、偶然にも2人とも名古屋と静岡大工学部在学中の男子大学生だ。

理工系やものづくり離れが叫ばれる中、「日本の経済を支えているのはものづくりだ。それに携わりたい」と

志望動機は2人とも全く同じ。

だが、進学統計を見れば、明らかに理系離れは進み、県内の愛知工業大学や中部大学などの

志願者数を見ると、少子化の影響もあり、10年ほど前と比べると減少率はすさまじい。

比例してレベル低下も深刻だとか。

ある高校の進路指導担当教諭に聞くと「想定した数以上に合格者数を出している」という。

地元ではトヨタグループの優良企業で知られるアイシン精機も首都圏や関西など地元以外の認知度が低く、

大学3年生の「就活」のスタートと前後してコマーシャルを積極的に打っている。

だが、2人の言葉を聞いていると、依然この地方では製造業が中心で、地元テレビや新聞社が

こぞって自動車はじめ、製造業の隆盛ぶりをとりあげていることも、若者や

親御さんたちへの刷り込みとしてあるのではないか。

  


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2007年12月18日

ダカール2008

トヨタ車体(刈谷市、水嶋敏夫社長)、が今季も来年1月5日にポルトガル・リスボンを

スタートする「ダカール2008(通称バリダカ)」に参戦する。

参戦するトヨタ・ランクル100の2台に、従業員の家庭や社員食堂から集めた2100㍑の使用済み天

ぷら油から精製した軽油の代替燃料「バイオディーゼル」を使う。

史上初の市販車無改造部門4連覇がかかっている大きな大会に、

敢えて環境を世界にアピールする。自動車メーカーとしてレース競技の勝利が最優先される

中での試みに、その覚悟のほどが垣間見える。

バリダカに対しては思い入れがあって、アラコの時代から取材している。

そんなこともあり、3年前ちょうどパリダカが行われている年明けにモロッコを旅した。

行く先々でパリダカ関係者が乗るランクルを見て自分も参加しているような心躍る心境になったのを鮮明に覚えている。

弊社1月1日号2部1面で、こうご期待。

http://www.toyota-body.co.jp/dakar/index.html  


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2007年12月17日

千葉ロッテから一巡目指名

ちょっと前になるが、プロ野球千葉ロッテから大学・社会人一巡目指名を受けた
トヨタ自動車の服部泰卓(やすたか)選手(25)の入団会見がトヨタ会館(豊田市トヨタ町)で行われた。

きりっとした顔つきのイケメン。身長は公称174㌢、体重71㌔と華奢でとてもプロ野球の選手とは見えない。

トヨタからは03年から毎年、川岸(中日-楽天)、金子(オリックス)、吉見(中日)、上野(広島)と毎年プロ野球界に人材を輩出。それも全てが投手だ。

世界のトヨタだから学生も集まるだろうというのはお門違い。

地方の野球名門校から東京の六大学や東都に進んで、この地方、それも名古屋ではなく豊田という田舎にまず来てくれなかった。「自分の力からして本気で野球をやるのは大学まで」と考えているならともかく、プロ野球を目指している学生にとって、都市対抗に毎年出場してないようなチームに入って本気で野球に取り組めるはずはないと思われていた。

そこで数年前に元全日本の川島監督を招へいし、早稲田出身の部長が就任してから続々と大学野球のスターが入ってくるようになった。と同時に300近くあった社会人野球チームは80ほどに減り、大学野球でもレギュラー以外野球で社会人に進むことは難しくなっている。

本題に戻るが、この服部選手。なかなか口を割らない取材泣かせの選手。

目標は、ライバルはと尋ねても、「自分のレベルを1ランク上げたい。他人は関係ない。自分がやるだけ」と一切リップサービスを吐かない。こちらの呼び水も意に介さない。同席した監督も「オレの方が勝って浮かれていて、あいつは内容が悪ければ喜ばない」と高い志を賞賛していた。練習でも人一倍やれり、口数は少ないが背中で手本を見せるタイプだという。

会見後、正月号で1㌻の特集を組んでいたため40分ほどインタビュー。

どんな内容かは1月1日号でお楽しみ下さい。

PS:あるスポーツジムの風呂でたまに会うのだが、割れた腹筋としまった肉体は彫刻美のよう。
無論、向こうは気付いていないのだが・・・  


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2007年12月16日

中国企業の工場と化す

政界きっての中国通で知られる衆院議員加藤紘一氏の講演がある昨晩の愛大名古屋校舎(三好町)。中国外交にも影響を与えたきた加藤氏の話を生で聞けるとあって、中国に関心がある県内の人たちで熱気で包まれていた。

テーマは「対中政策の現状と課題をめぐって-議員外交の視点から」。

中国人の友人は多く、頻繁に上海に行っては友人宅に泊まって意見交換を図っている。

だが、個人として、国家観としてはちゃんと線引きをしている。

お日本には外交などない、とずっと思ってきたが改めて国会議員間トップがあれだけ腰砕けで、日本という国の国益よりも仲良しこよしを求めているんだから、どうしようもない。

ただでさえアメリカにももの申す政治大国中国が経済的にも並ぶと日本は中国の属国になって、逆に中国企業の工場に数十年後には陥ってしまうと現実として感じた。

  


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2007年12月14日

1年間でたくましく成長

 農村開発や環境保全、人材育成などで世界に貢献している国際NGOオイスカの中部日本研修センター(豊田市勘八町)で8日開かれた研修生の修了式。アジア太平洋から訪れていた研修生らは、母国の発展を胸に誓い、学びやを後にした。

 入国したのは今年1月。まだ寒く、凍えながら自信のない小さな声では、「おはようございます」ぐらいしか話せなかった彼らは、日本での1年間の農業研修やホームステイでの日本人とのふれあいなどを通してたくましく成長した姿を表すように、しっかりとした日本語でそれぞれの思いを述べていた。

 修了式には、研修指導員やホームステイの受け入れ家族など約200人が出席し、研修生のあいさつに涙ぐむ人もちらほら。おそらくこの日本滞在の1年で共有してきた「時間」を思い巡らせ、自然とこみ上げてきたのだろう。

 それは、わが子を見つめるような慈しみの気持ちと母国の発展に力を注いでくれよと期待を込めながら。

 また、来年新しい研修生が訪れる。

 別れと出会いは日々訪れる。  


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2007年12月05日

トップたるもの先を見据えなければならない

正月号の取材で三好町長にインタビューするため、役場を訪れた。

市町村合併から唯一離れ、独自路線を選択したトップ。来年には市に移行し、たくましい市にもまれ、

地域や職員を育てたいという。会話の中では、将来の道州制をにらみ、さらなる合併の際、同じ「市」

として、対等な立場でモノが言える状況をつくっておきたいという本音が垣間見れた。

トップたるもの、大衆に迎合することなく、さらなる高みを見つめ、導いていくという覚悟に並々ならぬ

決意を感じることができた。  


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2007年12月03日

全国55万人の中学生の頂点

 介護を将来の夢に掲げる子どもは少なくない。だが、食事の世話や排せつの手伝いといった地味で地道な仕事で、お年寄りらの症状もさまざま。その現実と低い賃金に離職者は後を絶たない。

 東京で11日に開かれた「第29回少年の主張全国大会2007」で、中部・近畿ブロック代表として出場最優秀の「内閣総理大臣賞」を受賞した美里中学校3年の武田聡美さんは「将来介護士になりたい」と、「『命』を生きる人との出会い」をテーマに職場体験で訪れた養護老人ホームでの介護の体験を発表した。

 たった2日間という体験であったが、その中で彼女は「助けてあげる」というそれまでの気持ちが薄れ、介護を受けるお年寄りも、自分と同じ「命の道」を歩く仲間と気付き、互いに理解し合うことが大切だと、改めて介護士の道に進みたいと思ったという。

 中学生という若さで厳しい現実を受け入れながら、新たにやりがいを見出すことは難しい。それゆえに彼女は愛知県勢としては22年ぶりの最優秀賞となった。ちなみに携帯でブログをやっているのだという。

 正月号に向け、こうした前向きに生きている市民と出会える毎日が貴重な「財産」になっている。




  


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2007年12月01日

イルミネーション開幕

 今日から豊田市駅前を電飾で飾る「イルミネーションストーリー2007」が

開幕しました。28日までを期間に駅前ロータリーや豊田参合館前、コモスク

エアで鮮やかなイルミネーションが飾られています。

 豊田商工会議所青年部のメンバーとしてサンタの格好で子どもたちにプレ

ゼントを配りましたが、子どもを巻き込むと親も必ずついてくるから、イベント

には子どもは欠かせないですね。これまで毎年取材で訪れてあまり関心を

集めているように感じなかったけれど、今年は2000人もが夜にも関わらず

集まっていただくことができました。

 子どもたちからは、「僕の家でもクリスマスはサンタが来てプレゼントに来

てくれるんだよ」「多分うちに来てくれるサンタさんは、サンタさん(私のこと)

と知り合いだと思うよ」など子どもならではの話も聞けて、こちらの方が笑顔

というプレゼント貰った感じがしました。
  


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