2009年12月16日

なぜ総合週刊誌は凋落したのか? 

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なぜ総合週刊誌は凋落したのか? 出版社を取り巻く3つの課題
10月28日12時3分配信 Business Media 誠からの転載


『週刊文春』(10月29日号)
 『月刊現代』『論座』『諸君』など、雑誌の休刊が相次いでいる。このほかグラビア誌『sabra』や学習雑誌『小学五年生』『小学六年生』も休刊を明らかにするなど、ジャンルを問わず、雑誌が苦しい立場に置かれている。

 また総合週刊誌と呼ばれる『週刊現代』『週刊ポスト』『週刊文春』『週刊新潮』などは、どのような状況に置かれているのだろうか。昔は電車の中でサラリーマンが読んでいた……といったイメージがあるが、最近では「見かけることが少なくなった」と感じている人も多いのでは。

 総合週刊誌といえば政治家や芸能人のスキャンダル記事を扱うことが多いが、読者はこうした記事に興味を失ったのだろうか。『週刊現代』や『FRIDAY』の編集長を務めた元木昌彦氏が、総合週刊誌を取り巻くの課題について語った。

※本記事は日本ジャーナリスト会議主催の集会(10月16日)にて、元木氏が語ったことをまとめたものです。

●漫画がダメになれば、大手出版社は厳しい

 私が携わってきた男性向けの総合週刊誌は、いま大変な時期を迎えている。総合週刊誌といえば『週刊現代』『週刊ポスト』『週刊新潮』『週刊文春』などがあるが、いまや完全にシルバー雑誌化している。私が『週刊現代』の編集長をしていたのは1992年から1997年まで。いまから10年以上前だが、このときの読者の平均年齢は30代の後半だった。最近の『週刊現代』の読者(平均年齢)は40代後半だという。私が現場を離れてから、読者の平均年齢が上がっているようだ。

 私が現場にいるころは「40歳を過ぎたら『週刊新潮』」といったキャッチフレーズがあった。しかしいまの『週刊新潮』の読者の平均年齢は50歳を超えているのではないだろうか。ひょっとしたら50代半ばかもしれない。また『週刊文春』の平均読者は『週刊新潮』よりも少し若いかもしれないが、それでも50歳前後だろう。

 シルバー雑誌といえば『サライ』などがあるが、いまは総合週刊誌もシルバー雑誌になったと思う。そのため、部数も落ち込んでいるのではないだろうか。各雑誌は読者の若返りを図っているが、なかなか難しいようだ。残念ながら、総合週刊誌に若い読者は入ってこず、その一方でシルバー世代の読者も離してしまった。

 私が『週刊現代』の編集長をしていたころの部数は80万部ほど。また合併号で、一番多いときは150万部あった。いまの『週刊現代』は20万部ちょっと。私が担当していたころと比べ、3分の1以下に減少してしまった。

 かつて大手出版社といえば出版(書籍)が中心の会社だった。しかし20年ほど前から雑誌の売り上げが大きくなり、雑誌が書籍を凌駕(りょうが)してしまった。講談社も「総合出版社」とうたっているが、実態は「雑誌を中心とした出版社」だ。講談社、小学館、集英社は漫画の雑誌や単行本の売り上げが、大きなウエートを占めている。例えば講談社の総売上に対し、漫画の売り上げは3分2近くを占めている。もし『週刊現代』や『FRIDAY』が休刊になっても、講談社は営業を続けていくことができるが、漫画がダメになれば講談社だけに限らず、小学館や集英社も潰れてしまうかもしれない。

 私も企業年金を講談社からもらっているので、なんとかあと10年くらいは存続してもらわないと……(笑)。講談社の悪口は相当言っているが、悪口を言うということは「会社が存続してほしい」という“愛のムチ”だと考えている。しかし、なかなかそうは受け止めてもらえていないようだ。

●裁判所から“恫喝”された出版社

 今年に入ってから、週刊誌にとって大きな出来事があった。いまから3代前の『週刊現代』の編集長は、朝青龍の八百長問題を取り上げた。そして「朝青龍が八百長をし、カネが動いた」※という記事を書いたことで、朝青龍側から訴えられたのだ。一審の判決が2009年1月にあり、「総額4290万円払え」という判決が出た。もちろん高額の賠償金額にも驚いたのだが、判決に「取り消し広告を出せ」と書いてあったことにも驚いた。つまり「この記事はウソでした。間違っていました」という記事広告を出すことだが、これは前代未聞ではないだろうか。

 また『週刊新潮』も、元横綱の貴乃花から訴えられた。賠償金額は400万円ほどだったが、判決文に「新潮社の社長に監督責任がある」とあったことに驚いた。確かに社長名で訴えられることは多いが、貴乃花のケースでは「間違った記事を載せるということは、社長に監督責任がある」ということを裁判所が認めたのだ。この判決は出版社にとって、“恫喝”とも受け取れるのではないだろうか。

 例えばヤクザの世界では、組の傘下の人間が、相手の親分を殺したりすると、その責任が組のトップにも及ぶという法律がある。これをメディアに例えると、朝日新聞が訴えられて、朝日新聞の社長に「お前に監督責任がないから、こんな記事が出るんだ」ということになる。また週刊誌でいうと、社長は毎号の記事をチェックしているわけではないのに、監督責任が問われてしまうのだ。ほとんどの出版社では週刊誌が発行されてから、社長室にその雑誌が届けられるといったケースが多いのに……。

※『週刊現代』が朝青龍と30人の力士から提訴されていた一連の八百長疑惑記事で、総額4290万円支払えという超高額賠償金が言い渡された。

●説明義務を果たしていない新潮社

 週刊誌の問題を考える上で、2009年に起きた『週刊新潮』の大誤報を忘れてはいけないだろう。「朝日新聞の阪神支局襲撃事件は『オレがやった!』『オレが犯人だ!』」という男が現れ、『週刊新潮』はその男と接触した。そして彼をインタビューし、「大スクープ」といった形で、記事を掲載したのだ。

 しかし記事を読む限り、「この男が真犯人だ」と思わせるものがなかった。『週刊新潮』といえば、事件モノに強いといったイメージがある。それこそ「新潮は取材をシンチョーに行う」(笑)雑誌だ。これまでにも数々のスクープを飛ばしており、出版社系週刊誌の草分け的な存在。しかしその新潮社が「こんな記事を掲載するのか!?」と思うくらいの内容だった。さらに驚いたことは、記事の終わりに「以下、次号」と書いてあったことだ。「こんな記事を続けるのか!?」と思ったが、きっと2回目は「この男が真犯人に間違いない」といった証拠を出してくると思った。しかし2回目にもそのようなものはなく、3回目も4回目もなかった……。

 犯人が事件現場から持ち去った、緑の手帳などが掲載されるのかと思ったが、「犯人は持っていない」という内容。また共犯の若い奴は「昔に自殺した」とのこと。この男が、朝日新聞の阪神支局襲撃事件の犯人であるということを、『週刊新潮』はどうやってウラを取ったのだろうか。この記事を読む限り、全く分からなかった。

 連載中に、朝日新聞は「あの男は、真犯人ではない。我々も彼から話を聞いたが、彼が真犯人である確証は得られなかった」と、『週刊新潮』に反論した。そして犯人と称する男は連載終了後に、朝日新聞や『週刊文春』を集めて「あの記事は週刊新潮が勝手に作りあげたもので、オレはしゃべっていない」などと話した。私もこの世界で40年以上いるが、このようなケースは前代未聞だ。なぜ『週刊新潮』ともあろうものが、こんな男に簡単にだまされてしまったのか。

 記者や編集の仕事をしていると、だまされることはある。ただ、これだけのことを引き起こしたのだから、『週刊新潮』はだまされたことを真摯(しんし)に説明しなければならない。新潮側は「我々はなぜだまされたのか」といったことを説明していたが、残念ながら「自分たちも被害者だ」という書き方だった。そして、それ以上の説明は全くなかった。

●新聞、テレビ、雑誌は切磋琢磨しなければならない

 2009年に入ってから総合週刊誌にとって、3つの大きな出来事があった。このままだと総合週刊誌への不信感は高まるだろうし、部数も坂道を転げ落ちるように減少していくかもしれない。例えば『サンデー毎日』の部数は10万部を切っている。失礼な言い方だが、もはや“ミニコミ”(少数者に対して情報を伝達すること)の世界だ。かつての『週刊朝日』は150万部の部数を誇っていたが、いまは17~18万部。このままだと、バタバタと総合週刊誌が休刊してしまう。

 残念ながら、総合週刊誌は利益を生み出していない。また名誉毀損によって、高額の損害賠償を支払わなければならないかもしれない。「こんな雑誌は早く潰して、あまりトラブルを起さない雑誌を作りたい」という会社側の気持ちも分かる。しかし新聞、テレビ、雑誌――この3つのメディアは切磋琢磨しながら、国民の知る権利に答えていくべきだろう。ちなみにネットメディアはまだまだ力不足だと思う。

 多様な言論があって、その中で人は「この情報は面白そう」「こういったものを読んでみたい」と考え、1冊350円の週刊誌を手に取る――私はこういった世の中の方が良いと思っている  


Posted by どんぐり at 19:18Comments(2)