正月休みで北米から帰国した友人とのひととき
正月休みで北米から帰国した自動車部品会社で経理をする友人2人。
日米の違いについて尋ねると、「ゴルフをしたり、食事をしたり、メジャーリーグを観戦に行くなど
仲のいい米国の友人だが、正確な
年は知らない。敬語がないから
年齢を聞く必要がないからか、相手が何歳なのかはみな
関心がない」とか。
確かに、採用の際、履歴書に
男女や
年齢を記入することはなく、企業も
職歴や人間性などに優先順位を置くので年齢についてはことのほか重んじていないというのもうなずける。
また、米人の現地社員がよく言うことだが、「日本人の部下にはsugarコートして言わないと傷つく。
厳しいことをダイレクトに言うといつまでも根に持たれる。親しき仲にも礼儀アリという諺の通り、
友人関係でも人間関係でもウェトだね」と。
確かに、最初にYES、NOを言ってから説明する言語の特徴や、元々人種や宗教、言語が違うという多様性の中で
自らの考えを言わないと「察する」という文化・風土がなく、「何を考えているのか分からない」と相手に伝わらないのだろう。
翻って日本。例え自分のやるべきことを終えていても、みんなが働いているのに自分だけ帰ると、
「空気が読めない」、「場を壊す」と協調性のない奴というレッテルが貼られる。
でも、皮肉にも安倍首相は「
KY(空気が読めない)」で倒れ、日本という国自体がワシントンと北京の
表情をうかがいながら「
KY(空気を読んで)」対応し、主体性が一切見えてこない。
自分の考えを示すことが当たり前の彼らからすると、それこそ「何を考えているのか分からない」だろう。
米国に5年もいると、人間関係ではあっちの方が楽だとか。
よくよく考えてみると「
KY」というのは、相手の動き方に反応すると言うだけで自ら考えないと言うことだ。