「過疎化社会」は、まち中でも起こりうる

どんぐり

2008年07月28日 19:03

豊田市内でも昔から住んでいる人たちだけで、新たに外から

移り住んでくる人がいない人で構成される

「過疎化社会」へ行くと、世間話の会話は決まって、

身内や同級生、幼なじみの話に話題は集中する。

本当に、それは面白いように。



「○さんとこの子ども、○○大学に入ったって」

「○○さんとこ最近夫婦仲が良くないって」


聞いている方は、正直興味はなく、関心は違う方に向かっている。

そして、中高年になってもいまだに、

小中学校の時代の学校の成績、

スポーツができるできない、

生徒会長をやったやらないといった

「力関係」が維持され、優越感に浸っている初老の人までいる。


だが、よくよく聞いてみると、今から40数年前と言えば、

豊田市の人口は数万人程度で中学校も片手で数えられるほど。

知り合いの知り合いが通じた土着な社会だった。

それに、本当に優秀だった人は、高校から「外」へと飛び出し、

岡崎や刈谷などに行き、一部上場企業の役員になっている人も少なからずいる。


過疎化は地域性のみをさすのではないと知る。

田舎だけでなく、街中でも

そういう昔からいる顔なじみだけで構成された組織では必ず起こりうる。


全国各地から集まってくるトヨタの職場や、

昔からいる人より新たに移り住んできた人の方が多くなった

都市化以降の世代との認識格差はすこぶる大きく、

恐らくずっと居続ける人は理解できないだろう。


視野が狭いと関心まで狭く、村社会から抜け出ない。

だから、親は「一度は親元を離れ、視野を広めて来い」という。

生まれ育った所から出て暮らしたことがある人が

そういう環境に身を置くと、

世の中から置いていかれる「マイノリティ」的感覚に陥るだろう。